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■黒猫房主の周辺「真相解明とは何か」■ ★僕たちは「よく知っている」と思い込んで錯誤の闇にあることを「よく知らない」で、「知らない/知り得ない」ことについて何事かをわかっているかのようにやすやすと判断したり支持する。その判断材料は新聞報道だったりTVだったり人づての伝聞だったりいろいろだが、その信憑性については利害や関心に基づいた「期待」と自覚されない先入観が蔵されていることに用心しなければならない。しかしそのように用心しているつもりでも、うっかり見過ごしてしまったり情報誘導されてしまうことはよくよくある。あるいは村田氏の論考の指摘のように、他者に対する想像力を欠いて「空想」にふけってしまう。 ★たとえば衝迫的な事件に対する憎悪はいっきょに高まる。それはまたマスコミによって反復増幅されるから、僕たちの判断は一挙にある方向に傾斜しがちである。「オウム・サリン事件」と呼ばれる一連の裁判を毎回傍聴し続けた、ある高名なノンフィクション作家は「麻原彰晃」は生き延びたいがために「詐病」を弄する卑劣漢であるという趣旨のことを新聞でコメントしていた。このコメントを生み出す心理の裏側には、多くの人々の憎悪がへばりついているように思われる。 ★なるほど、その作家は僕よりも法廷での「麻原彰晃」のことをよく知っているらしい。だが「麻原彰晃」の拘置所での日常は知らないだろうし、直接面接して会話を試みる機会もなかったに違いない。そして弁護側の「訴訟能力が失われている」か「その可能性が高い」という六人の精神鑑定には信憑性がなくても、裁判所側のたった一人の精神鑑定は信用できるというわけだろうか。 ★映像作家の森達也は、その裁判所側の鑑定への疑義として「鑑定書には、被告の倫理を批判する記述がある。倫理の考察と精神鑑定とは、本来無縁のはずだ。思わず筆が走ったのであろうこの一文に、鑑定医の意図が透けている。詳細を書く紙幅はないが、詐病を前提としながら逆算した、相当に強引な鑑定だ」と批判している(「被告を治療し訴訟継続を」、「朝日新聞」06.04.01掲載より)。ちなみにその鑑定書は、弁護人の立ち会いもなく鑑定医の氏名や鑑定内容を非公開とする法手続き的にも問題のあるものだったが、弁護側によってその内容が公開された。そのことへの意趣返しとして控訴棄却という反発を誘発したとの見方も森達也はしている(「弁護側の引き延ばし」という批判への反論は、村田氏の論考・註3を参照のこと)。 ★また弁護側が依頼した医師によれば、適切な治療を施せば訴訟能力を回復する可能性があるともいう。ならば「麻原彰晃」を治療してから訴訟を継続するのが順当な判断だろう。だがほんとうのところは、権力側は法廷での真相解明を望んでいないのではないか? それは最初の弁護団だった主任弁護人の安田好弘弁護士を不当逮捕で排除したことや、事件のキーマンであった村井秀夫をやすやすと衆人監視のもとで刺殺させたこと、そしてこの10年のあいだ「麻原彰晃」の変貌(精神の異常)を放置してきたことなどを考えてみればよい。 ★いっしんに人々の憎悪を「麻原彰晃」に収斂させて真相を封印することで、危機管理の肥大化や死刑制度温存への権力の意図が見え隠れしているようにも思える。ちなみに「真相解明」とは、たんに首謀者が誰であるかにとどまらない、状況への応接という課題を含んでいる。 ★最後に、村田氏は「「被害者や遺族はどうなるのだ」といいだしたい向きもあるかもしれない。しかし、なんと言えばいいのかわたしにはわからない。ただ、ひとこと言えるとしたら、「権力=人民の復讐心」と結合してしまった被害者の「感情」というものは、非常に不幸なものだと思う」と書いているが、法社会学的には応報刑罰というのはありえる。つまり「死には死を」というわけであるが、それは果たして正義に適っているだろうか?((黒猫房主)
by kuronekobousyu
| 2006-05-01 00:00
| 61号
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